「ほかの仕事も経験してほしいけれど、今の担当を外す余裕がない」「担当者を替えても、教える時間を取れず、前任者に質問が集まってしまう」。少人数の職場で社員の育成を考えると、こうした壁にぶつかることがあります。
ジョブローテーションとクロストレーニングは、社員の経験や対応できる範囲を広げるための方法です。ただし、人を入れ替えたり、仕事を追加したりするだけでは、育成の計画にはなりません。
まずは「誰に、どの仕事を、どこまで学んでもらいたいか」を決めましょう。そのうえで、担当を替えて経験するのか、今の担当を続けながらほかの仕事を学ぶのかを考えます。
この記事では、中小企業の人事担当者に向けて、2つの方法の違いと選び方、現場で無理なく試すための育成計画を整理します。
ジョブローテーションとクロストレーニングの違い
ジョブローテーションは、担当を替えて仕事を経験する方法
ジョブローテーションは、人材育成などの目的に沿って部署や担当職務を計画的に替え、複数の仕事を経験する方法です。部署をまたぐ異動だけでなく、同じ部署の中で担当業務を替えて経験を積む形も考えられます。
たとえば、人事の中で採用担当と研修担当を一定の計画に沿って経験し、それぞれの仕事のつながりを学ぶ、といった進め方です。実際に担当することで、説明を聞くだけでは見えにくい判断や調整も学習対象にできます。
ただし、欠員を埋めるために担当を替えただけでは、何を学ぶかが曖昧なままです。育成として行うなら、経験してほしい仕事、支援する人、振り返る時期まで決めておきます。
参考:三菱総合研究所・人材戦略コンパス「ジョブローテーション」
クロストレーニングは、ほかの担当の仕事や役割を学ぶ訓練
ここでいうクロストレーニングは、スポーツのトレーニングではなく、職場でほかの担当者の仕事や役割を学ぶ教育訓練です。
必ずしも正式な異動を伴いません。現在の担当を続けながら、隣接する業務の説明を受ける、担当者の仕事を見学する、指導を受けて一部を練習するといった形でも設計できます。
たとえば、採用担当者が研修受付の流れを学び、申込み情報の整理や必要事項の確認を練習する方法です。「研修の仕事をすべて代わる」のか、「受付部分を補助できるようにする」のかで、学ぶ内容は変わります。
米国National Research Councilの報告でも、クロストレーニングには、ほかの役割の説明を受ける方法、見学する方法、実際にその役割を練習する方法が整理されています。
参考:National Research Council『Enhancing the Effectiveness of Team Science』第5章、Cross-Training(pp.101–104)
2つは組み合わせて使える
ジョブローテーションは担当・配置の設計、クロストレーニングはほかの仕事を学ぶ訓練、という観点で整理すると、自社での使い方を考えやすくなります。
| 比較する点 | ジョブローテーション | クロストレーニング |
|---|---|---|
| 計画の中心 | どの職務を、どの順番で担当するか | ほかの担当の何を、どこまで学ぶか |
| 担当の替え方 | 部署や担当職務を計画的に替える | 今の担当を維持したままでも実施できる |
| 学ぶ範囲の例 | 一つの職務を担当し、判断や調整を経験する | 仕事の流れの理解から、一部業務の実践まで |
| 先に必要な準備 | 送り出す側と受け入れる側の業務調整 | 教える人・学ぶ人の時間と訓練範囲の設定 |
この表は、2つの方法を選ぶための本サイトの整理です。用語の使われ方は職場や文献によって重なりがあり、「異動があるかどうか」だけで完全に分けられるものではありません。
担当を替える前に、クロストレーニングで仕事の流れを学ぶこともできます。名称を決めるより、担当する範囲、学ぶ内容、支援の方法を関係者でそろえることが大切です。
中小企業では、育てたい力と現場の余力から選ぶ
職務全体の経験を積ませたいなら、担当変更を検討する
一つの仕事を最初から最後まで経験し、関係部署との調整や例外への対応まで学んでほしい場合は、ジョブローテーションが選択肢になります。
ただし、送り出す側の仕事を誰が受け持つか、受け入れる側がどこまで指導できるかを先に確認します。本人には、新しい担当で期待する役割と、今回の経験を今後どう生かしてほしいかを説明しましょう。
本人が深めたい専門性や今後の希望も聞きます。幅広い経験を増やすことだけを優先して、専門性を深める機会を失わないようにします。
今の担当を続けながら対応範囲を広げたいなら、学ぶ業務を絞る
担当を外すことが難しい場合は、クロストレーニングで隣接する業務の一部を学ぶ方法があります。
最初から「全員が全部できる状態」を目指す必要はありません。「相手の仕事を理解して必要な情報を渡せる」「通常の受付だけ補助できる」「判断に迷ったら適切な相手へ相談できる」など、必要な到達点を決めます。
教える人の時間が取れない、今の仕事を調整できないという場合は、対象や開始時期を見直します。育成の名目で仕事を上乗せするだけでは、学ぶ人と教える人の両方に無理が出ます。
育成で解決する課題かどうかも確かめる
仕事が止まる理由が、知識不足とは限りません。承認できる人がいない、必要な情報にアクセスできない、そもそも業務量が多すぎる、といった問題は、訓練とは別に整える必要があります。
引き継ぎや代行、権限・確認の仕組みを見直したい場合は、人事業務の属人化・形骸化を防ぐための実務で整理しています。
社員の経験や育成を、評価・配置・定着までつなげて考えたい場合は、中小企業のタレントマネジメント入門も参考になります。
一つの業務から、育成計画を作る
厚生労働省の「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」では、必要な能力や目標の共有、学ぶ機会と時間の確保、実践・評価、現場のリーダーへの支援が示されています。
ここからの手順と記入例は、その考え方を踏まえ、中小企業で使いやすい形に整理した本サイトの実務提案です。公式の指定様式や、一律に実施すべき手順ではありません。
参考:厚生労働省「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」特設サイト
1.目的と、学んだ後に任せたい仕事を決める
「多能工化する」「視野を広げる」だけでは、何を学べばよいかが分かりません。学習後に任せたい仕事を、具体的な行動で書き出します。
たとえば、「研修受付を覚える」ではなく、「申込み情報の不足を確認し、対応が必要なものを担当者へ渡せる」とします。業務全体を任せる予定なら、どの段階から担当範囲を広げるかも考えます。
2.現在できることと、学ぶ必要があることを分ける
本人と教える人で、対象業務の経験を確かめます。「説明を聞いた」「見学した」「指導を受けてできた」「決めた範囲を一人でできた」は、同じ状態ではありません。
到達点を言葉にしにくい場合は、厚生労働省の職業能力評価基準も参考になります。知識や技術・技能に加え、仕事での行動例が整理されており、自社の業務に合わせて使うことが案内されています。
最初から細かな評価項目を増やさず、今回の業務で確認したい行動に絞りましょう。
3.本人・上司・教える人で、仕事と時間を調整する
人事が研修予定を作るだけでは、現場の時間は空きません。本人の上司と教える人に、次の点を確認します。
- 学ぶ時間と教える時間を、いつ確保するか
- その間の通常業務を、誰がどう調整するか
- 質問を受ける人と、不在時の相談先を誰にするか
- いつ進捗を確かめ、計画を見直すか
ジョブローテーションなら、送り出す側と受け入れる側の双方で、担当変更の時期と残る仕事を確認します。クロストレーニングでも、「空いた時間に教えておいて」で済ませず、通常業務との調整を行います。
会社が参加を指示する研修や、事実上参加が義務づけられている教育訓練は、労働時間として扱います。「自己啓発」「任意参加」という名称だけで、勤務時間外の無給の学習にしないようにしてください。
参考:厚生労働省「『研修・教育訓練』に関する労働時間の考え方」(2026年6月)
4.練習する範囲と、習得を確かめる方法を決める
教える内容だけでなく、本人に何をしてもらい、何ができれば次へ進むかを決めます。
次は、研修受付の一部を学ぶクロストレーニングの記入例です。実在企業の事例ではなく、本サイトが作成した架空の育成計画です。
| 計画する項目 | 記入例 |
|---|---|
| 育成の目的 | 採用担当者が、社内研修の受付業務の一部も補助できるようにする |
| 学ぶ範囲 | 申込み情報の整理、不足項目の確認、担当者への引渡し |
| 今回は任せない範囲 | 受講可否の例外判断、費用の承認、社員への最終案内 |
| 教える人・相談先 | 研修担当者。判断が必要なものは研修責任者へ相談する |
| 時間と通常業務の調整 | 採用連絡が集中しない時間帯に予定を置き、その間の問い合わせ担当を決める |
| 練習方法 | 架空の申込みデータで、通常ケースと情報不足のケースを練習する |
| 到達点 | 必要項目を確認し、不足や例外を区別して担当者へ渡せる |
| 確認・見直し | 練習の結果と、次回の受付業務での実践を確認し、範囲と支援方法を見直す |
本番のシステム操作や社員への連絡を練習に使う場合は、実行できる範囲と確認者を決めます。個人情報を含む資料は必要な範囲で扱い、練習用のデータには架空情報を使う方法を検討しましょう。
5.業務の周期に合わせて、試す期間を決める
毎日起きる仕事と、月1回の仕事では、経験できる回数が違います。「一律に何週間」「何年ごとに異動」と決める前に、学ぶために必要な場面が、その期間に含まれるかを確認します。
通常ケースだけで終わるなら、情報不足や判断に迷うケースを練習で補う方法もあります。期間が終わったことだけをもって、習得したと判断しないようにしましょう。
ジョブローテーションでも同じです。たとえば採用担当から研修担当へ替えるなら、研修の準備・実施・振り返りをどこまで経験するか、元の採用業務を誰へ渡すかを決めます。担当変更後も前の仕事をそのまま抱え続ける計画になっていないか、送り出す側と受け入れる側で確認してください。
実施後は、習得と負担の両方を振り返る
受講回数より、できるようになった行動を見る
本人に手順を説明してもらう、決めた範囲を実行してもらう、判断に迷う場面で相談先を選んでもらうなど、到達点に合った方法で確かめます。
できなかった部分があれば、本人の能力だけに原因を求めず、説明が足りなかったのか、練習の機会がなかったのか、対象範囲が広すぎたのかを分けて考えます。
育成途中の習得確認と、給与・昇進等を決める人事評価も分けて説明しましょう。今回の経験がどのように評価されるかは、自社の制度に沿って事前に伝えます。
学ぶ人と教える人の通常業務も確認する
次のような状態が見られたら、続けることを優先せず、上司と計画を調整します。
- 学ぶために、本人や教える人の残業が増えている
- 締切遅れや確認漏れが出ている
- 質問を受ける時間がなく、分からないまま作業が進んでいる
- 経験したい仕事と、実際に任されている仕事がずれている
対象業務を狭める、通常業務の配分を変える、指導者を補う、開始時期をずらすなど、調整の方法は一つではありません。本人だけでなく、教える側と受入先の意見も聞きましょう。
学んだ後に、使う機会を残す
練習でできても、その後に使う機会がなければ、次に任せるときに改めて確認が必要になります。学習後にどの業務へ関わるか、どの時点で再確認するかまで決めておきます。
教える人の選び方や教材・指導の準備を詳しく整えたい場合は、中小企業向けの社内講師育成と研修計画も参考にしてください。
ジョブローテーションとクロストレーニングのよくある質問
ひとり人事でも実施できますか?
人事だけで担当を交代できなくても、上司や総務担当者などと、学ぶ範囲を限定して検討することはできます。ただし、教える時間や業務を調整する人がいないまま始める必要はありません。まず、誰のどの仕事を学ぶと何に役立つかを整理し、経営者や上司に体制を相談しましょう。
全員に同じ仕事を覚えてもらうべきですか?
一律にそろえる必要はありません。会社が必要とする役割、本人の経験や希望、深めたい専門性を踏まえて決めます。仕事の流れを理解するだけでよい人と、実際に担当する予定の人では、訓練内容も到達点も異なります。
担当を替えれば、属人化や確認の問題も解決しますか?
担当を替えることは、知識や経験を共有する機会になりますが、それだけで引き継ぎや承認・確認の仕組みが整うわけではありません。誰が何を判断・確認するかは、育成計画とは別に決める必要があります。
まとめ|誰に何を学んでもらうかを、一つ決める
ジョブローテーションとクロストレーニングを検討するときは、制度の名前より先に、育成の目的と到達点を決めましょう。
担当を替えて職務全体を経験してもらうのか、現在の担当を続けながら隣接する仕事を学んでもらうのか。本人と現場の状況を踏まえ、学ぶ範囲、教える人、時間、習得の確認方法をそろえます。
最初に整理するのは、「誰に」「どの仕事を」「どこまで」「誰が支えて」学んでもらうかの4点です。一つの業務で計画を作り、通常業務への影響を確認しながら、続けられる形へ調整していきましょう。
参考資料
- 三菱総合研究所・人材戦略コンパス「ジョブローテーション」:用語の定義
- National Research Council(2015)『Enhancing the Effectiveness of Team Science』第5章:Cross-Training、pp.101–104
- 厚生労働省「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」特設サイト:目標の共有、時間の確保、実践・評価、リーダーへの支援
- 厚生労働省「職業能力評価基準」:基準の内容と自社に合わせた活用
- 厚生労働省「『研修・教育訓練』に関する労働時間の考え方」:2026年6月版、研修の実態に応じた労働時間の扱い
※資料確認日:2026年10月29日。本文の選択基準、手順、記入例は本サイトの実務提案です。個別の異動・担当変更は、労働契約、就業規則、本人の事情や必要な資格・権限を確認して進めてください。


